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Trust each other

チームの総合力は互いの信頼関係の上に発揮される
<出典>「昭和の名経営者列伝」、日経ベンチャー2004-11-15 からの転載です。

塚本幸一(ワコール創業者)に学ぶ(1)
 戦後間もなく、京都でワコールを創業し、世界ブランドに育て上げた塚本幸一。日本で馴染みのなかった下着のビジネスを軌道に乗せ、一大企業にまで育て上げた男の経営理念とリーダーシップはどう築かれたのか。第一回は起業に至る経緯を探る。


 「労働組合の正式な要求はすべて無条件で通す」――。

 ワコールの社内が労使交渉で紛糾していた1962年のことである。創業社長の塚本幸一は、対策を話し合う役員会の席上で、まさに無謀とも思える一大決心を明らかにした。全社員を信頼しきるという姿勢を具現化する宣言だった。

 人が人を変えられると思ったら大きな過ちを犯します。人は誰かに感化されて大きく変わることはあるでしょう。でも、それはその人自身の意思で変わったんです。相手を服従させるんじゃなく、お互いの意思でやっているという関係を築くことが一番素晴らしい。

 冬のボーナスを前に、いよいよ組合から要求書が提出された。塚本は約束を忠実に守り、内容を見もせずに、その場でバーンと判を押した。

 「大丈夫でしょうか?」――要求の中身を見て青くなった経理部長に、ただ一言答えた。

 「分からん」

 塚本は組合員である全社員に説いた。人がやる気になれば、平均して80パーセントぐらいの力は発揮するものだ。ただ、現状は40パーセントぐらいじゃなかろうか。このままだと会社は潰れるだろう。でも、もし皆が頑張れば、今回の要求条件を受け入れたところで会社はまだまだ発展する。二つの道のどちらを選ぶかは、君達だ。

 組合は、塚本の意見を持ち帰って大会を開いた。そこで出した決議は一つ、「働こう」ということだった。

 恐ろしいとしか言いようのない変化が社内に起こった。私用など全くなくなり、トイレに行く時でも走るんです。経費はダァーっと落ちるし、能率はグワァーっと上がってくる。チームの総合力は素晴らしい人間関係の上に成立することを、身をもって痛感しました。以来、「相互信頼」こそが経営の根幹だと信じるようになったのです。

●生かされた命、私利私欲を満たすために使ってはならない

 近江商人の家系に育った塚本は、自らも商いの道を目指し、小学校を出ると「近江商人の士官学校」と呼ばれた八幡商業学校に学んだ。

 卒業して家業を手伝っていた塚本だが、20歳の時に伏見の歩兵連隊に入隊し、中国から東南アジアへと転戦する。敗戦を迎えたのは激戦の地、ビルマ(現ミャンマー)。55人の部隊の内、生き残ったのはわずか3人だった。

 多くの戦友を失い、日本へと向かう復員船の中で、塚本は自身に問い掛けた。なぜ自分は生きているのか――。

 1946年の6月15日、私は戦地から、たまたま生かされて日本に戻ることになりました。その時に考えたのは、これはお預かりモノの人生だな、と。だから、与えられた命のほかに、何かやってやろうと思ったのです。チャンスを頂いた以上、それは自分のちっぽけな私利私欲を満たすために使ってはならない。何か新しいことで世に貢献するんだと心に誓いました。

 最初の3年半程は、ネックレスなどの婦人向けアクセサリーの行商を手掛けて食いつないだ。しかし、元々は呉服屋の家系であったため、塚本もいつかは繊維関係の仕事で足場を固めたいとの強い思いがあった。

 そんな折の49年、塚本の元に「ブラパッド」なる商品が持ち込まれた。日本女性が洋服を着る際、着映えするように胸元に入れて使うという。渦状に巻いたスプリングに布地をかぶせただけのモノだったが、塚本は新しい時代を予感した。(文中敬称略)

Zen

仏法の理(ことわり)

「無」とは一所懸命に努力すること 心の中を「空」にして決断せよ

仏教には、戒律・禅定・知恵という三つの要素がある。戒律は、社会的なルール、人間として最小限守らなくてはいけない規則。禅定は、体験によって、ものを会得していくこと。そして、戒律を守り、禅定を修得することによって浮かび上がってくるのが知恵である。

 禅宗は、この三要素の内の禅定の部分を強調する仏教で、定という字を省き、禅という一字だけを取り上げて、禅宗と言っているわけです。

 禅定とは、坐禅などの修行だけではなく、農作業、掃除、托鉢といった経験を通して、自分自身の本当の姿に目覚めていこうとすることです。


 何でもそうですが、自分自身の納得のゆくまでやってみることが非常に重要です。そうしている内に、ある瞬間、ふっと気付く。この自分自身の納得を積み重ねて、徐々に心を純粋化していく。濁った水をきれいにしていくように、心を澄み切らせていくことが禅の目標の一つです。

誰でも「無」の境地に

 人間には、様々な煩悩があります。私達は生まれた時には美しい心を持っていますが、悲しいことに成長するに従って、だんだんその心が濁ってしまうのです。

 その失ったものを再発見する、忘れたものをいま一度取り戻す。これが、禅の修行です。様々な煩悩を少しずつ吐き出し、心を純粋化させ、最後には、無となり、空となるのです。

 無は、何も考えない、何も思わないということではありません。無というのは、一つの物事を成し遂げる、その目標に向かって一所懸命ひたむきに努力することです。その姿は純粋であり、これが無になるということなのです。

 ですから、皆さんだって、無の境地に必ず到達できると思います。禅宗では、これを「本来無一物(ほんらいむいち)もつ」と言い表しています。

 お釈迦様から数えて28番目の祖師で、少林寺で9年間、面壁したと言われる達磨大師(だるまだいし)が、はるばるインドから中国へお見えになった時のことです。当時の皇帝は有名な梁(りょう)の武帝(ぶてい)で、仏教に対して非常に熱心でした。その武帝が達磨大師に尋ねました。

「私は仏教寺院を何千何万と建立し、数え切れないほどのお坊さんにも供養してきました。さぞかし大きなご利益に預かるでしょうね」

 これに対して達磨大師はたった一言、「無功徳(むくどく)、何の功徳もない」とおっしゃった。

 何でもそうですが、何かのためにしてやろうという気持ちがある限り、全くアダなのですね。

 ボランティア活動を考えてください。ボランティアをやることが尊いのであって、それによって何らかの功徳を得ようという根性が少しでもあったら、何にもなりません。

 皆さんもリーダーとして、会社を経営する、あるいは国を支えていこうとするなら、これだけやったのだから見返りがあるだろう、などという気持ちがある限り駄目でしょうね。

Posted by eureka on May 29, 2005 10:49 PM

卓越した経営とは

組織の理想とする姿を目指した経営革新の実践と学習を重ねることで、世界に通用する独自の経営手法を創造しつづけ、それによって世界でトップレベルの顧客価値、社員価値、財務価値の成果を生みつづける経営を「卓越した経営」という。

独自の事業領域を定め、その中で顧客・競争・社会に対する最高の価値を生み出しつづける。

「経営品質」とは

経営を構成するすべてのプロセスの品質のこと
長期にわたって、顧客の求める価値を創造し、市場での競争力を維持するための仕組みのよさである。

重要な改善領域、継続、一貫性と実効性が鍵となる。